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私が英会話講師として仕事をしてきて、

時折考える事があります。

自分は、一体、何を人生の究極の目標として、

この仕事についているんだろう

ということです。

企業であれば、

企業理念とでもいうものでしょうか。

自分のあり方、考え方、そして目的です。

自分だけの幸せを考えた目的に向かうだけではなく、

人生をかけてしたい社会貢献がある、

この世に生をうけた理由があるんだと、

いう風に考えています。

英語を教えるということを通して、

様々な方々との出会いを通して、

自分の人生の究極の目標は、

「心の核をしっかり伝えていくこと」

「心の核をしっかり伝えるお手伝いをさせて頂くこと」

なのだと最近になって気付きました。

格好つけたがりの私は、

「能ある鷹は爪を隠す」

ように、自分の思っていることを言わない、

心にとどめておく事が

一番頭がよい生き方だと思っていきてきました。

能なんて無いのにね(笑)

実際に言わないでいれば、

反論はないし、

みんな素通りしてくれるでしょう。

でもそれって無なんですよね。

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私が米国に8年ほどいて気付かされた事です。

高校の数学のテスト

ほぼ全部満点だったんですよ。

通知書見たら、まさかのA-だったんですね。

こっちは、完璧なAだと思っていたので、

先生に抗議しにいったんです。

そしたら、先生は、

「だって君は授業中一回も質問や発言をしなかったじゃないか」

と言ってきたんです。

当時は

あんな馬鹿な質問して、

加点してもらえるなんて、

そりゃないよ〜ってな気持ちでした。

要は、米国の教育では、

自分の意見をいうというところを

かなり重要視しているという事なんですね。

私としては、

なんでもかんでも、

自分の意見だ!!!といってまわるのも、

違う気がするのですが、

自分の核となる想いは、

正々堂々と伝えられるというのが、

やはり健全な社会なのではないかな

と思うのです。

米国やハリウッドを崇拝しているわけでは

決して無いのですが、

(馬鹿やな〜と思う面も実際多いので)、

20代そこそこの女優さんや俳優さんでも、

自分の意見を率直に伝えているのをみると、

なんだか、自分が恥ずかしくなります。

「僕はフェミニストです!」

「ゲイ同士の結婚に賛成します!」

「言論の自由は保障されているはずです!」

自分のどうしても譲れないものは、

しっかりと発言している。

もちろん、米国の方が

意見表明を受け入れる

土壌があるのだろうけれど、

それでも、多くのhaters(アンチの人々)

からのバッシングを受ける覚悟で、

世界に発信しています。

自分自身に戻ると、

やっぱり、心から思っている事を

言えていない事にイライラしている。

自分の強い思いがあるのに、

言えないでいる人を

どうにかしてお手伝いしたいと

思うようになっている。

英語の講師も考えてみれば、

言語という壁によって、

コミュニケーションがとれない、

気持ちが伝えられない人を

お手伝いさせて頂きたいという

強い想いから続けられているのだ

と腑に落ちました。

私は人生をかけて、

様々な形で、

自分の人生の究極の目標を

達成出来たならと思います。

がんばるぞーーーー!!!!

長文読んで頂いてありがとうございます!